2022年08月18日
見高浜コース〈その4〉 竜ヶ鼻とベロバ海岸
こんばんは、案内人です。見高浜コース〈その4〉は、竜ヶ鼻とベロバ海岸です。
田尻川と見高川に挟まれて海に突き出た岬を「竜ヶ鼻(または竜宮の鼻)」というそうです。地名の由来を刻んだ石碑が建っています。
・・・・・昔は”岩ケ鼻”と呼ばれていたが、今から700年ほど前の鎌倉大地震の時、波とともに怪しい炎が発生して一晩中消えなかったので、村人たちは「波を起こすのは今度新しく建てた神社の氏神へ御燈明を上げに来られた竜神であろう」と話し合った。それからここを”竜灯の崎”と言うようになり、海岸線が竜の鼻に似ていることから”竜ヶ鼻(竜宮の鼻)”とも呼ぶようになった。それ以来村人は竜神を祀り深く信仰するようになったので村は豊かになりみんな幸せに暮らした。・・・・・
この近くには句碑も建っています。「夢さむる六十一年や秋の風 亀潮」
竜ヶ鼻の西側はベロバ海岸です。段間遺跡がある台地の先端が波に削られてできた海食台で、大小の岩石が並んだ広い浅瀬が海に向かって”舌べろ”のように伸びているところから、”ベロバ”と呼ぶようになったそうです。
この写真は干潮時ですが、潮が満ちてくると岸に近い所に広い水溜りができ、夏には天然のプールで地元の子供たちや観光客が水遊びを楽しんでいます。
また、海岸に並んでいる大きな岩をよく探すと、矢穴が並んだ岩や割れ目がある岩が見つかります。
江戸時代の初めころに、江戸城を増改築するための築城石を伊豆半島から切り出しました。伊東市や東伊豆町に石丁場の跡が残っていますが、見高にも石丁場があったそうです。幕府から普請を割り当てられた諸大名と石丁場の一覧に「耳高 尾張大納言義直」の記述があるそうです。(参考資料「石垣が語る江戸城」著者:野中和夫 発行:同成社)
次回は琴海神社です。それでは、また。〈秀〉
田尻川と見高川に挟まれて海に突き出た岬を「竜ヶ鼻(または竜宮の鼻)」というそうです。地名の由来を刻んだ石碑が建っています。
・・・・・昔は”岩ケ鼻”と呼ばれていたが、今から700年ほど前の鎌倉大地震の時、波とともに怪しい炎が発生して一晩中消えなかったので、村人たちは「波を起こすのは今度新しく建てた神社の氏神へ御燈明を上げに来られた竜神であろう」と話し合った。それからここを”竜灯の崎”と言うようになり、海岸線が竜の鼻に似ていることから”竜ヶ鼻(竜宮の鼻)”とも呼ぶようになった。それ以来村人は竜神を祀り深く信仰するようになったので村は豊かになりみんな幸せに暮らした。・・・・・
この近くには句碑も建っています。「夢さむる六十一年や秋の風 亀潮」
竜ヶ鼻の西側はベロバ海岸です。段間遺跡がある台地の先端が波に削られてできた海食台で、大小の岩石が並んだ広い浅瀬が海に向かって”舌べろ”のように伸びているところから、”ベロバ”と呼ぶようになったそうです。
この写真は干潮時ですが、潮が満ちてくると岸に近い所に広い水溜りができ、夏には天然のプールで地元の子供たちや観光客が水遊びを楽しんでいます。
また、海岸に並んでいる大きな岩をよく探すと、矢穴が並んだ岩や割れ目がある岩が見つかります。
江戸時代の初めころに、江戸城を増改築するための築城石を伊豆半島から切り出しました。伊東市や東伊豆町に石丁場の跡が残っていますが、見高にも石丁場があったそうです。幕府から普請を割り当てられた諸大名と石丁場の一覧に「耳高 尾張大納言義直」の記述があるそうです。(参考資料「石垣が語る江戸城」著者:野中和夫 発行:同成社)
次回は琴海神社です。それでは、また。〈秀〉
Posted by 案内人 at 20:21
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