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 河津町は、静岡県の東部、伊豆半島の東海岸に位置する人口7千人弱の小さな町です。
 「かわづふるさと案内人会」は平成19年に設立。現在は13人の会員が、観光パンフレットやハイキングマップには載っていない歴史や豆知識などを交えて各コースを案内します。料金は、一人500円(2名様以上でお申し込みください)。
 申込は、河津町観光協会(電話0558-32-0290)へどうぞ。
Information
静岡県東部・伊豆 ブログポータルサイト イーラ・パーク
 

2024年10月26日

10月例会 研修(谷津寺町~平安の仏像展示館)に10人参加

 こんにちは、案内人です。昨日(10月25日)は10月の例会で、谷津地区の寺町から「ならんだの里 平安の仏像展示館」までの現地研修を行いました。事務局を含めて10人が参加しました。

 7月25日の記事でも触れたとおり、「寺町」と呼ばれる栖足寺の周辺は昭和30年代までは商店や飲食店が並ぶ旧下河津村の中心地でした。今回の研修は、寺町の由来でもある栖足寺を見学した後、多くの文学者も訪れて賑わっていた頃の町並みを想像しながら谷津川に沿って平安の仏像展示館まで遡り、先ごろ国の重要文化財に指定された仏像群を見学するコースを確認するものです。

 栖足寺では千葉住職の出迎えを受けて参道脇にある「河童の甕」の伝説を主題にした銅像を見学した後、本堂で寺の来歴などの説明を受けました。

 

 さらに、本尊の釈迦如来坐像や寺宝の「河童の甕」と十王堂の地獄絵図の掛け軸、天井画を見学しました。



 このうち、地獄絵図と地蔵菩薩の掛け軸11巻は町史資料編「河津の寺院」によると谷津地区と峰地区の境付近の路傍にあった十王堂に祀られていたもので、江戸時代に作られたものだそうです。毎年お盆の時期に公開しているとのことで、今回は特別に1巻だけ見せていただきました。

 栖足寺から平安の仏像展示館までの道中では、与謝野鉄幹・晶子夫妻が泊まった旅館「まげや」の跡、井伏鱒二の定宿だった旅館「南豆荘」の跡、石原博士の「河津眼科医院」の跡を確認。

 町道から細い急坂を登って、山の中腹に建つ平安の仏像展示館にようやく到着。
 まず展示館のロビーで甘茶を頂きながら担当の佐藤さんから施設の仏像群についての全体説明を聴き、展示室で一体ごとに詳しく解説していただきました。




 26体の仏像群が8月の官報告示によって正式に重要文化財に決まったことで、展示館への来場者が増えているそうです。案内人会としても今回のコースが人気のコースになってくれることを期待しています。
 それでは、また。〈秀〉





 






   


Posted by 案内人 at 16:23研修

2024年07月25日

7月例会 「谷津の昔の町並みと文豪」の研修

 こんにちは、案内人です。昨日(7月24日)は7月の例会で「谷津の昔の町並みと文豪」についての講話を聴きました。講師は前河津町教育長の鈴木基さんです。

 谷津地区は河津川河口の右岸側の地区です。地区内の通称「寺町」と呼ばれる栖足寺の周辺は昭和30年代までは商店や飲食店が並ぶ旧下河津村の中心地でした。古くから温泉地としても知られていて旅館が何軒もあり、大正から昭和の中頃までは多くの文学者が訪れて小説や随筆、紀行文を遺しています。鈴木さんは寺町で生まれ育ち、文学にも詳しいので今回の講師をお願いしました。


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 講話の前半では、谷津温泉を訪れた多くの文学者のうちから、川端康成、井伏鱒二、太宰 治、与謝野晶子の作品のうち谷津温泉が登場するものについて解説。

・川端康成は「中津屋」に宿泊。「伊豆天城」「南伊豆行」「伊豆の印象」「伊豆温泉記」
 川端康成は伊豆の温泉地のうちでは谷津温泉が一番気に入っていたらしい。

・井伏鱒二は「南豆荘」が定宿。「天城山麓を巡る道」「南豆荘の将棋盤」
 井伏は毎年鮎釣りに来ていた。鈴木さんは幼少のころ、麦わら帽子をかぶって釣竿を担いだ井伏が自宅の前を通るのを見た覚えがあるとのこと。また、「天城山麓を巡る道、の中に魚屋で飼っているトンビの話が出てくるが、その魚屋は鈴木さんの生家だそうで、鈴木さんが子供のころ近所の中学生からトンビの雛を2羽預かって飼っていたとのこと。井伏は魚屋に寄ったいたかもしれない。
 水害に遭った晩の顛末を記した「南豆荘の将棋盤」に書かれている昭和15年の大雨のことは下河津小学校(現河津小学校)の校務日誌に「交通が寸断されて教員が登校できない」との記録があるとのこと。

・太宰 治は湯ケ野の福田家に泊まっていたが、仲人でもある井伏に呼ばれて「南豆荘」へ宿泊した晩に水害に遭遇。帰京後に南豆荘の女将宛へ水害見舞いの葉書を出している。

・与謝野晶子は夫の鉄幹と「まげや」に宿泊。「浴泉雑詠」
 正月に避寒のために数日滞在するつもりだったが冷たい天城颪が吹き荒れたので一泊して蓮台寺温泉に移った。


 講話の後半は元東大医学部教授で医学博士の石原 忍について解説。「石原式色覚異常検査表」を考案したことで世界的に有名な石原博士は晩年河津に移住して眼科医院を開業し、地域医療と文化の向上に尽くした。その功績は今も受け継がれている。

・門下生である東大医学部眼科教室卒業生の団体「一新会」から贈られた谷津の別荘へ第二次大戦後に移住して「河津眼科医院」を開業。採算を度外視して日夜診療に当ったため、その名声を慕って全国から患者が訪れるようになった。遠来の患者のために専門の旅館を確保して夜間往診したり、治療費が払えない患者には「ある時払いで」とそっと告げるなど、「医は仁術なり」を実践した。
 また、石原博士は村民の文化の向上を願い、誰でも自由に利用でき、貸出票を書かせたりしない図書館を開くことを計画。東京の自宅を売却して栖足寺門前にあった旧下河津村役場を買い取り、昭和24年に「河津文化の家」が開館した。本は貸出票などはなく「本が返却されない恐れがある」と言われて「本が返ってこなくても、その人の役に立てばよい。本はまた買える」と答えた。
 私設図書館は老朽化で取り壊されたが、平成15年に町の図書館が完成して「河津町立文化の家図書館」として開館した。館内に石原博士の功績を紹介するコーナーがあり、平成18年度からは「一新会」から図書購入費として毎年寄付が寄せられている。

 石原博士の別荘としてなぜ片田舎の谷津の地が選ばれたのか不明だが、博士の東大医学部の教え子に萩原 朗という河津出身の眼科医がいたからではないかと想像される。萩原医師は温泉旅館の「まげや」の生まれだとのこと。

 鈴木さんは河津眼科医院で治療してもらったことがあり、小学生の頃は学校の帰りに図書館に寄って畳敷きの部屋に寝転がって気に入った本を読むのが日課だったそう。

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 今月には「ならんだの里 平安の仏像展示館」の仏像群が国の重要文化財に指定される見込みです。展示館が注目されるこの機会に、谷津を訪れてくれるお客様に展示館以外の谷津の見どころを案内したいと思います。今回の研修では、資料には載っていない「話のタネ」をいくつも教わることができてよかったです。
 それでは、また。〈秀〉  


Posted by 案内人 at 15:46研修

2024年06月21日

6月例会 雨のため現地研修を出発前に中止

 こんにちは、案内人です。今日は6月の例会で谷津の寺町から「ならんだの里平安の仏像展示館」までのコースを歩く予定でしたが、思っていたより雨脚が強いため出発前に中止して、会議室で資料の読み合わせをしました。

 今年3月に同展示館の仏像26体が国の重要文化財に指定されました。新聞やテレビなどで紹介されたことなどで、今後展示館を訪れる観光客が増えることが予想されます。展示館は谷津川に沿った谷間の奥にありますが、谷間の入り口にあたる谷津の寺町はかつては温泉場として町内で最も繁華な地区だったそうです。
 その寺町と展示館を結ぶ「谷津寺町~ならんだの里平安の仏像展示館コース」の見どころのおさらいをするのが今日の目的でした。コースの途中で新たな見どころを見付けながら歩きたいというのも目的の一つだったので車でスーッと移動というのはやめて、涼しくなる秋以降に改めて計画することになりました。

 梅雨入りが遅れていた東海地方が今日梅雨入りしました。平年より15日遅い入梅です。大事な行事の時の雨降りや被害が出るような大雨は困るけど、夏の水不足も困ります。やはり降るときには降ってほしいですね。
 それでは、また。〈秀〉

 

   


Posted by 案内人 at 14:30研修