2020年11月20日
11月例会 城山~今井浜~河津浜で研修
こんばんは、案内人です。先日(11月18日)は11月の例会でした。城山(河津城跡)と今井浜で、歴史・文学・ジオの研修を行いました。講師は、研修委員のコウジさんと編集委員のマユさんです。14人が参加しました。
歩いたコースは、河津桜観光交流館8:45~城山(河津城跡)~今井浜~河津浜~11:40河津桜観光交流館です。
城山へ登る途中の山道は、昭和の初め頃まで伊豆東海岸の主要街道だった「東浦路」の一部です。江戸時代に旅の途中で亡くなった人を供養したと思われる石仏があります。葉っぱが付いた木の枝を折って手向けました。

急な山道をマスクをしたままあえぎながら登って、標高約180メートルの山頂へ到着。晴天に恵まれて眺めがよかったです。


城山の山頂には大日如来が祀られていて「大日山」とも呼ばれています。地元の笹原区では毎年2月の最後の日曜日に”大日さん”の祭りを行っています。(以前は2月28日だったそうです。)
城山は16世紀末に伊豆に侵攻した伊勢宗瑞(北条早雲)の火攻めに遭い落城したと伝えられています。水が無いので兵糧米を掛けて消そうとしたと言い伝えられていて、土の表面をよく探すと焼けて炭化した米が見つかります。拾った焼米は観察した後は元の場所に戻します。


城山を下って再び旧東浦路に出たら左方面に進むと間もなく笹原区と見高浜区の境の峠です。この峠部分は路面が荒れていて倒木が塞いでいるので、遊歩道としては通行止めになっています。倒木を潜って進んでいくと下り道になり、見高浜の町道に出ます。
今井浜では、まずマユさんから今井浜にゆかりの石坂洋次郎や三島由紀夫など文学者についての話を聞きました。今井浜の旅館に滞在していた石坂洋二郎は、「文士は健康でなければいい作品は書けない」と言って、午前中は執筆、午後は今井浜で体操をしたり、走り幅跳びをしたりしていたそうです。
三島由紀夫は、今井浜での水難事故を題材に小説「真夏の死」を書きました。
海岸の岩場ではコウジさんが伊豆半島が海底火山だった数百万年前の地層に残されている貝の化石について解説しました。



山道を登ったり下ったり、砂浜を歩いたり、見どころもたっぷりで晴天にも恵まれ、久しぶりのハイキングは気持ちが晴々しました。
それでは、また。〈秀〉
歩いたコースは、河津桜観光交流館8:45~城山(河津城跡)~今井浜~河津浜~11:40河津桜観光交流館です。
城山へ登る途中の山道は、昭和の初め頃まで伊豆東海岸の主要街道だった「東浦路」の一部です。江戸時代に旅の途中で亡くなった人を供養したと思われる石仏があります。葉っぱが付いた木の枝を折って手向けました。

急な山道をマスクをしたままあえぎながら登って、標高約180メートルの山頂へ到着。晴天に恵まれて眺めがよかったです。


城山の山頂には大日如来が祀られていて「大日山」とも呼ばれています。地元の笹原区では毎年2月の最後の日曜日に”大日さん”の祭りを行っています。(以前は2月28日だったそうです。)
城山は16世紀末に伊豆に侵攻した伊勢宗瑞(北条早雲)の火攻めに遭い落城したと伝えられています。水が無いので兵糧米を掛けて消そうとしたと言い伝えられていて、土の表面をよく探すと焼けて炭化した米が見つかります。拾った焼米は観察した後は元の場所に戻します。


城山を下って再び旧東浦路に出たら左方面に進むと間もなく笹原区と見高浜区の境の峠です。この峠部分は路面が荒れていて倒木が塞いでいるので、遊歩道としては通行止めになっています。倒木を潜って進んでいくと下り道になり、見高浜の町道に出ます。
今井浜では、まずマユさんから今井浜にゆかりの石坂洋次郎や三島由紀夫など文学者についての話を聞きました。今井浜の旅館に滞在していた石坂洋二郎は、「文士は健康でなければいい作品は書けない」と言って、午前中は執筆、午後は今井浜で体操をしたり、走り幅跳びをしたりしていたそうです。
三島由紀夫は、今井浜での水難事故を題材に小説「真夏の死」を書きました。
海岸の岩場ではコウジさんが伊豆半島が海底火山だった数百万年前の地層に残されている貝の化石について解説しました。



山道を登ったり下ったり、砂浜を歩いたり、見どころもたっぷりで晴天にも恵まれ、久しぶりのハイキングは気持ちが晴々しました。
それでは、また。〈秀〉