2019年08月12日
ラブラドール岩と玉ねぎ石
こんにちは、案内人です。「川の中に、近所の人が”ラブラドール岩”と呼んでいる岩があるよ」とタツオさんから聞いて見に行ってきました。河津川の湯ヶ野と下佐ヶ野の地区境で、通称”しんち川原“と呼ばれていて消防水利がある所です。


初めは「ウーン。そういわれてみればラブラドール・レトリバーに見えないこともないかな」という感じでした。それでも、見る角度を変えてしばらく眺めていたら、だんだんそう見えてきたのは不思議です。
対岸の少し下流には今でも稼働している製材所があり、数十年前までは大きな水車の動力で製材していました(水車で発電タービンを回して、電気でモーターを動かしていたのかも?)。ちょうどこの辺りにその水車を回すための水の取り入れ口があり、小学校高学年になると男子は川遊びでその水路に入って泳ぐ度胸試しをしたそうです。今はその水路は撤去されています。
”ラブラドール岩”から数十メートル下流の崖下には「玉ねぎ石」があります。岩石が玉ねぎの皮をむくように割れている石で、すごく珍しいというものではないようですが、どこでも見られるというわけでもなさそうです。



この辺りの川原の岩盤は伊豆半島が海底火山だった1千万年前ころにできた地層だそうです。いくつもある玉ねぎ石をよく見るとみんな丸くて、きめ細かい砂粒でできた別の岩に包まれています。
「海上に顔を出していた小さな火山島の磯で磨かれた丸石がその後の火山活動の振動で海底に転がり落ち、海底に溜まっていた泥に埋まったまま一緒に固まって岩盤になった」と、これは私の想像ですがどうでしょうか。
川原の石も、よく見ると色とりどりで形もさまざま。どんなふうにできたか想像するのも面白いです。
それでは、また。〈秀〉


初めは「ウーン。そういわれてみればラブラドール・レトリバーに見えないこともないかな」という感じでした。それでも、見る角度を変えてしばらく眺めていたら、だんだんそう見えてきたのは不思議です。
対岸の少し下流には今でも稼働している製材所があり、数十年前までは大きな水車の動力で製材していました(水車で発電タービンを回して、電気でモーターを動かしていたのかも?)。ちょうどこの辺りにその水車を回すための水の取り入れ口があり、小学校高学年になると男子は川遊びでその水路に入って泳ぐ度胸試しをしたそうです。今はその水路は撤去されています。
”ラブラドール岩”から数十メートル下流の崖下には「玉ねぎ石」があります。岩石が玉ねぎの皮をむくように割れている石で、すごく珍しいというものではないようですが、どこでも見られるというわけでもなさそうです。



この辺りの川原の岩盤は伊豆半島が海底火山だった1千万年前ころにできた地層だそうです。いくつもある玉ねぎ石をよく見るとみんな丸くて、きめ細かい砂粒でできた別の岩に包まれています。
「海上に顔を出していた小さな火山島の磯で磨かれた丸石がその後の火山活動の振動で海底に転がり落ち、海底に溜まっていた泥に埋まったまま一緒に固まって岩盤になった」と、これは私の想像ですがどうでしょうか。
川原の石も、よく見ると色とりどりで形もさまざま。どんなふうにできたか想像するのも面白いです。
それでは、また。〈秀〉
2018年10月16日
ナチシダの説明板が新調されました
おはようございます、案内人です。昨日(10月15日)、河津七滝で来月案内する予定の関係者と打ち合わせがありました。待ち合わせ時刻より早めに着いたので大滝へ行ってみると、滝の展望所に取り付けてある「ナチシダ」の説明板が新しくなっていました。今月初めに行ったときは元のままだったので、まだ取り替えたばかりのようです。

以前の説明板は昭和59年に設置されたもののようで、だいぶ汚れていて読みにくく、説明板があることに気付かない人もいたくらいでした。

新しい説明板の文章は今までと同じですが、この一帯は国立公園第2種特別地域なので看板の色の規制があるためか茶色地に白文字で読みやすいと思います。
ところで、この説明板の周りには何種類かのシダが生えていますが肝心のナチシダは見つかりません。滝壺の近くにはあるのかもしれませんが、見学できるのはここまでなので、お客様に説明するときは写真を見せるなど工夫が必要です。
ナチシダそのものは特別珍しいものではなく、水垂駐車場付近には群生している場所があります。有毒成分が含まれているとかで鹿も食べないので増えているようです。


今度行ったら探してみてください。それでは、また。〈秀〉

以前の説明板は昭和59年に設置されたもののようで、だいぶ汚れていて読みにくく、説明板があることに気付かない人もいたくらいでした。

新しい説明板の文章は今までと同じですが、この一帯は国立公園第2種特別地域なので看板の色の規制があるためか茶色地に白文字で読みやすいと思います。
ところで、この説明板の周りには何種類かのシダが生えていますが肝心のナチシダは見つかりません。滝壺の近くにはあるのかもしれませんが、見学できるのはここまでなので、お客様に説明するときは写真を見せるなど工夫が必要です。
ナチシダそのものは特別珍しいものではなく、水垂駐車場付近には群生している場所があります。有毒成分が含まれているとかで鹿も食べないので増えているようです。


今度行ったら探してみてください。それでは、また。〈秀〉
2017年05月18日
5月例会 伊豆横道とジオサイトを見学
こんばんは、案内人です。昨日(5月17日)は5月例会で、松崎町と南伊豆町にある「伊豆横道三十三観音札所」と「ジオサイト」を見学しました。事務局を含め15人が参加しました。
まず向かったのは、松崎町の7番札所「宝蔵院」です。県道15号から分かれて曲がりくねった狭い山道を走ること約20分。西伊豆町境に近い標高552メートルの富貴野山「21世紀の森」の中にあります。弘法大師が開いたというこの寺は今は無住ですが、かつては大勢の僧が修行していたそうです。
相談役の修三郎さんによると、昔は4月21日の弘法大師の縁日に河津からも大鍋の山を越えて大勢お参りに行ったとのこと。もちろん歩いてですよ。修三郎さんの祖母は毎年早朝3時ころ出かけて行ったそうです。



富貴野山を西伊豆町方面に下り、一色の「枕状溶岩」を見学しました。この付近でしか見られない仁科層群は2千万年前から1千500万年前に海底火山が噴火してできた伊豆半島で一番古い地層だそうです。
とはいえ、知らなければ通り過ぎてしまいそうな普通のガケです。地元の皆さんが草や苔を取り除いてきれいにしてくれてあるので、それと分かります。地域の宝として大切に守っていることが感じられます。


仁科のスーパーマーケットで各自弁当を仕入れた後、松崎町の「室岩洞」へ向かいました。江戸時代から昭和の中ごろまで伊豆石を切り出していた石丁場の跡です。



切り出した石を船着き場に滑り落していた跡が展望台になっています。あいにくの薄曇りで、富士山は見えませんでした。

国道136号を南下し、松崎町と南伊豆町の境を左折して長者ヶ原の「山つつじ公園」へ向かいました。




山つつじを眺めながら山道を登ること約15分で頂上に到着。ここも薄曇りで富士山は見えませんでしたが、約520メートルの頂上からは360度の眺望が開けています。ウグイスのさえずりを聞きながら弁当を広げました。登ってくる途中で、ホトトギスの声を今年初めて聞きましたよ。

本日最後の目的地、伊浜の「普照寺」へ到着。「伊豆横道三十三観音」第33番札所、「伊豆八十八か所霊場」第71番札所です。住職様から寺の由来や「粟の長者」伝説などの話を伺いました。寺は高台にあり眺めも素晴らしいです。



帰路は当初の計画になかった「蛇石」へ寄り道をしました。先端の凹みが目と口に見えて愛嬌があり、手書きの看板も温かみがあります。


ここでタツオさんが昔ばなしを創作。”河津七滝の謂れになった八丁池の大蛇には実は8つの頭があって、8つ目の頭がここまで逃げてきて石になった。”
松崎町と南伊豆町の「横道三十三観音」と「ジオサイト」を巡るという、ちょっと欲張りな研修でしたが、充実した研修ができました。
それでは、また。〈秀〉
まず向かったのは、松崎町の7番札所「宝蔵院」です。県道15号から分かれて曲がりくねった狭い山道を走ること約20分。西伊豆町境に近い標高552メートルの富貴野山「21世紀の森」の中にあります。弘法大師が開いたというこの寺は今は無住ですが、かつては大勢の僧が修行していたそうです。
相談役の修三郎さんによると、昔は4月21日の弘法大師の縁日に河津からも大鍋の山を越えて大勢お参りに行ったとのこと。もちろん歩いてですよ。修三郎さんの祖母は毎年早朝3時ころ出かけて行ったそうです。



富貴野山を西伊豆町方面に下り、一色の「枕状溶岩」を見学しました。この付近でしか見られない仁科層群は2千万年前から1千500万年前に海底火山が噴火してできた伊豆半島で一番古い地層だそうです。
とはいえ、知らなければ通り過ぎてしまいそうな普通のガケです。地元の皆さんが草や苔を取り除いてきれいにしてくれてあるので、それと分かります。地域の宝として大切に守っていることが感じられます。


仁科のスーパーマーケットで各自弁当を仕入れた後、松崎町の「室岩洞」へ向かいました。江戸時代から昭和の中ごろまで伊豆石を切り出していた石丁場の跡です。



切り出した石を船着き場に滑り落していた跡が展望台になっています。あいにくの薄曇りで、富士山は見えませんでした。

国道136号を南下し、松崎町と南伊豆町の境を左折して長者ヶ原の「山つつじ公園」へ向かいました。




山つつじを眺めながら山道を登ること約15分で頂上に到着。ここも薄曇りで富士山は見えませんでしたが、約520メートルの頂上からは360度の眺望が開けています。ウグイスのさえずりを聞きながら弁当を広げました。登ってくる途中で、ホトトギスの声を今年初めて聞きましたよ。

本日最後の目的地、伊浜の「普照寺」へ到着。「伊豆横道三十三観音」第33番札所、「伊豆八十八か所霊場」第71番札所です。住職様から寺の由来や「粟の長者」伝説などの話を伺いました。寺は高台にあり眺めも素晴らしいです。



帰路は当初の計画になかった「蛇石」へ寄り道をしました。先端の凹みが目と口に見えて愛嬌があり、手書きの看板も温かみがあります。


ここでタツオさんが昔ばなしを創作。”河津七滝の謂れになった八丁池の大蛇には実は8つの頭があって、8つ目の頭がここまで逃げてきて石になった。”
松崎町と南伊豆町の「横道三十三観音」と「ジオサイト」を巡るという、ちょっと欲張りな研修でしたが、充実した研修ができました。
それでは、また。〈秀〉