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案内人
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 河津町は、静岡県の東部、伊豆半島の東海岸に位置する人口7千人弱の小さな町です。
 「かわづふるさと案内人会」は平成19年に設立。現在は13人の会員が、観光パンフレットやハイキングマップには載っていない歴史や豆知識などを交えて各コースを案内します。料金は、一人500円(2名様以上でお申し込みください)。
 申込は、河津町観光協会(電話0558-32-0290)へどうぞ。
Information
静岡県東部・伊豆 ブログポータルサイト イーラ・パーク
 

2024年05月15日

今年は下田開港170年です

 こんばんは、案内人です。今年は幕末に下田が開港してから170年の節目の年です。嘉永7年(1854年)に締結された日米和親条約によって下田と函館が開港地とされ、3月18日にペリー提督が率いる米艦隊が下田に入港しました。
 黒船が入港した170年前の下田の町は大騒ぎだったでしょうが、下田につながる2本の街道が通る河津でも騒動に無縁ではなかったようです。

 日米和親条約の内容の細目について交渉するため幕府の高官が往来したほか、下田周辺を警備するため韮山代官所や沼津藩、掛川藩などが藩兵を派遣しました。幕府の高官は海路ではなく、天城峠越えの下田街道や伊豆東海岸沿いの東浦路を通って下田に来ました。そのたびに街道沿いの村々では街道の道普請はもちろん、付き添いの役人を含めた一行の宿泊や休憩場所の手配、幕府高官が乗る駕籠の手配や荷物の運搬などのために負担を強いられました。元河津町長で郷土史家の故・板垣賢一郎さんの著書「天城路」にそのころの様子が記されています。


 日本側交渉団の首席・林大学頭(はやしだいがくのかみ)は「轎中雑識」という学者らしい詳細な日記を遺しています。また、勘定奉行の川路左衛門尉も筆まめな人だったらしく「下田日記」に当時の下田街道や東浦路の様子が書かれていて、川路の人柄が偲ばれて興味深いです。

 旧暦の5月4日に江戸を発った林大学頭は5月9日に天城峠(二本杉峠)を越えて河津に泊まり、5月10日に下田に到着しました。当時の梨本村、現在の川横地区に宿場があり、幕府の高官は本陣の稲葉家に、家来や一般の旅人は近くの民家に分宿しました。
 稲葉家は屋号を「大屋」と言い戦国時代から続く旧家だったそうですが、明治時代の大火で古文書や遺物などがすべて焼けてしまい、子孫も町外に転出してしまったので当時を知ることができないのが残念です。



 下田条約の調印を終えた林大学の守は旧暦の6月1日に帰途に就き、東海岸沿いの道を通って谷津の乗安寺で昼食。河津川に小舟を並べた橋を渡り、浜と笹原の境の峠を越え、見高を過ぎて長野の原で小休止、夕方早い時刻に稲取の本陣に着いています。

 現在、幕末から残っていて誰でも見ることができる物は、旧下田街道の川合野口(大鍋入口)に立つこの道標です。嘉永7年に君沢郡小海村(現在の沼津市内浦)の増田七兵衛(小海村の旧家で網元)が建てたもので、下田市の八木山口にも安政2年(1855年)に彼が建てた道標があります。
 高さ127㎝で、正面:右 三嶋  左 下田道  裏面:右 下田  左 みしま道  右側面:豆州君沢郡小海村 増田七兵衛建之  左側面:嘉永七甲寅年
  と刻まれています。



 増田七兵衛は小海村の網元だったらしいですが、なぜここに道標を建てたのか、他の場所にも建てたのか、興味深いですね。

 私が生まれ育った家は旧下田街道沿いにあったので、幼・小・中の10年間街道の一部を歩いて通いました。その頃は未舗装で昔のままだったかもしれません。坂道は路面が流されないように川原から運んだ玉石を敷き詰めた所もありました。私の家の先祖も幕府の役人の荷物を担いで二本杉峠や小鍋峠を越えたかもしれないですね。
 170年前の歴史の道を歩いて毎日学校へ通っていたかと思うと感慨深いです。
 それでは、また。〈秀〉
 




  


Posted by 案内人 at 17:55その他

2024年05月09日

5月定例役員会を開催

 おはようございます、案内人です。昨日(5月8日)定例役員会を開きました。議題は、(1)5月例会、(2)6月例会、(3)その他 です。

 (1)5月例会 谷津地区の寺町から「ならんだの里 平安の仏像展示館」までの現地研修を行う。研修委員が先日下見をした。
 目的は、①展示館の仏像群が国の重要文化財に指定されたことを記念する企画を検討する。②名誉町民で谷津温泉にゆかりの眼科医、石原忍博士の業績を学習する。③谷津地区の寺町周辺のかつての賑わいを再確認して案内する時の話題を増やす。
 年間計画では5月15日に開催予定だったが、展示館が休館日であることと、展示館の仏像の一部が東京国立博物館へ貸し出し中のため、返却されてから開催する。

(2)6月19日(水) 河津桜観光交流館で下田地区消防組合によるAED操作などの救急法を受講。

(3)その他
 ①7月例会 美しい伊豆創造センターのジオパーク研究員による研修会を開催。テーマは伊豆の植物を希望。
 ②6月に渋谷区の中学校が校外学習で来町する。河津七滝見学の案内を6人程度で担当する。

 強い日差しが眩しい真夏のような日から一転、急に寒くなって重ね着する寒暖の変化が激しい日が続いています。久しぶりの河津七滝案内に向けて体を慣らしていきます。
 それでは、また。〈秀〉  


Posted by 案内人 at 10:58会議

2024年04月27日

令和5年度総会を開催

 こんにちは、案内人です。昨日(4月26日)河津桜観光交流館で総会を開きました。会員13人中10人が出席。
 議題は、(1)令和5年度事業報告と収支決算、(2)令和6年度事業計画と収支予算、(3)その他です。

 (1)令和5年度事業報告と収支決算  原案通り承認
 
 (2)令和6年度事業計画と収支予算  原案通り承認
 令和6年度の例会では、5月:谷津口から奥谷津(ならんだの里 平安の仏像展示館)までの見どころ研修、6月:救急法講習、7月:ジオパーク研修、9月:旧天城トンネル周辺で研修、10月:町外研修、トライアスロン大会ボランティア参加、11月:東浦路(谷津~縄地)研修、12月:座学(河津の歴史)、1月:河津桜まつり打合せ・ガイド講習、2月:河津桜まつり案内、3月:次年度事業検討会 を行う予定です。

 (3)その他
  ①会員の退会や新規加入などに伴う組織図の一部変更について報告
  ②申し合わせ事項の内容について確認
  ③久しぶりに一泊二日の町外研修をしたいとの提案があった
  ④来春の河津桜まつり案内予約受付について、会員が減っている状況で可能かどうかの確認があった

 総会終了後、町内の食事処で久しぶりに懇親会を行いました。コロナ前に比べると参加人数が少なくなったことや平均年齢が上がって酒量も控えめになったせいか、会話中心の静かな懇親会でした。
 それでは、また。(秀)  


Posted by 案内人 at 14:49会議