旧下田街道脇にあった疱瘡神社のご神体
こんにちは、案内人です。下田市の上原美術館で開催されている「きれいな仏像 愉快な江戸仏」展を見に行ってきました。このうち「愉快な江戸仏」は、河津町、下田市、南伊豆町の寺や堂に祀られている石像と木像21体が展示されています。大きさは最大でも約60センチメートル、最少は約9センチメートル、ほとんどが20センチメートル前後の小像です。しかも如来像や菩薩像だけでなく、誕生仏や神像、何の像か不明なものもあります。ほとんどが地方の仏師の作とみられ、ちょっと不格好で愛嬌があるところが魅力です。
河津町内からは、林際寺(沢田)、小峰堂(田中)、長福寺(浜)、栖足寺(谷津)、普門院(逆川)、慈眼院(川横)の像が展示されています。そのうちで注目したのは疱瘡(ホウソウ)神の像。この神像は、今は川横の慈眼院に祀られていますが、元は梨本の水垂駐車場付近に祀られていた「床浦神社(通称 疱瘡神社)」の祭神だったそうです。
本会の相談役でもある稲葉修三郎さんの著書「川津の昔ばなし」によると、「江戸時代のこと。南伊豆のおそうというお婆さんが、韮山の代官所へ年貢を納めるために天城峠を越える途中で行き倒れてしまったので、山仕事に通う人たちがねんごろに弔ってやった。何年か経った頃、「おそう婆さんの墓へ願をかけると必ず病が治る」と言われるようになり、お参りする人が増えたので立派な社を建てた。さらに「このお宮に願をかければ疱瘡にかからない」と評判になり、東は江戸、西は三河辺りまでの人がお参りに来て、疱瘡茶屋という茶屋ができるほど賑わい下田街道の名所になった。その後、時代が進むにつれて顧みられなくなり、社殿は解体されて梨本神社の境内に、ご神体は慈眼院に祀られた。」とのことです。
町教育委員会が発行した町史資料編第2集「河津町の神社」によると、文政7年(1824年)に浦賀奉行が書いた「甲申日記」や、安政元年(1854年)に天城峠を越えた幕府の役人が記した日記に、この神社と茶屋のことが記されているそうなので、広く知られた神社だったようです。
水垂駐車場は河津七滝を上流から散策するときに起点になる駐車場です。この一角に神社と茶屋が建っていたらしいです。これから七滝を案内する時は、この話も加えたいですね。
美術館の仏像展は9月24日まで開催されています。
それでは、また。〈秀〉
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