公開講座 沢田石の石丁場跡見学会を開催しました
おはようございます、案内人です。先週の火曜日(6月20日)に「公開講座 沢田石の石丁場跡見学会」を開きました。会員と一般参加者合わせて34人が参加しました。
午前9時に沢田地区の涅槃堂駐車場に集合。日程説明や準備運動をした後、まず涅槃堂と堂の裏山にある展望台を見学し、石丁場跡に向かいました。
沢田石は薄緑色の凝灰岩で、柔らかくて加工しやすく火に強いのが特徴です。水に濡れると美しさが際立つので青石とも呼ばれて有名でした。江戸時代の初め頃から切り出されていましたが、近代洋風建築を飾る石材として明治時代の中ごろに最盛期を迎えました。その後は、コンクリートが使われるようになったことなどから衰退したものの、平成に入る頃まで切り出されていたようです。
石丁場跡は沢田地区と田中地区の間の小高い山の中にあり、沢田側には入口がいくつもあって田中側につながっていたそうです。現在はすべての坑道が落石や水たまりで塞がれていて、今回見学する場所も入口から30メートルほどしか入れません。
町道わきに坑道入口の跡がありました。まだ坑道がつながっていた数十年前には涼しい風が吹き出していて、穴の奥にスイカなどを冷やしておいたと聞きました。
山に入るところで小休止。コウジさんから沢田石の特徴や石ができた由来を聞きました。
石丁場跡に到着。岩肌に細かく刻まれたタガネの跡には石切り職人の技を感じます。石の粉が舞う暗い穴の中で懸命に槌を振る姿を想像して息苦しいような気持ちになりました。
入口から30メートルほどで深くて大きな水たまりがあってそれ以上は進めませんが、参加者は初めて見る石丁場跡の姿に驚いていました。
石丁場を見学した後は来宮神社に移動し、拝殿へ上がる階段に奉納された沢田石の最高級品「青石」を見学しました。側面に奉納者・鈴木伊兵衛の名前が彫ってあります。最盛期だった明治時代の中頃、石丁場を経営していたそうです。20数年前、鈴木家の蔵から大量の古文書が見つかって採石当時の詳しい様子が分かりました。文書は町の教育委員会が保管しているそうです。
青石の実物を見学した後、エイジさんが「鳥精進・酒精進」の紙芝居を披露して11時30分過ぎに解散しました。
今回の公開講座は、(1)本会の活動を多くの人に知ってもらい、案内実績向上につなげること、一緒に活動してくれる人を増やすこと、(2)忘れられつつある沢田石をはじめとする地元の宝を再発見するきっかけにしてほしい、ということを目的に初めて開催しました。
これからも年に1~2回開催していきたいと考えています。
それでは、また。
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